--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011年05月12日 (木) | Edit |
ゴールデンウィークに被災地へボランティアに行った青年たちからその手記が届きましたので、順に紹介していきます。


==========================================

復興への歩みを多くの青年と
――田中奏さん(民青県委員長)

募金だけでなく、本当に求められる支援は何かを考え、少しでも元気が届けられたらという想いで参加しました。

活動場所は陸前高田市の広田半島広田町。一関から車で1時間半ですが、同市に入って驚いたのは、市街地までかなり距離があるところから被害が見られたことです。津波が川を伝って襲い、田にはガレキが山積みでした。

市街地に入ると建物は数えるほどしかなく、4~5メートルある竹林の先にたくさんの服や漁の網が引っ掛かっていました。津波の高さを知り、言葉になりませんでした。

1日、2日目は、広田小学校の炊き出しを手伝いました。避難所生活のお母さんたちが交替でやっておられ、一緒に作業することで、少しずつ会話できるようになりました。「広島でなんかあったら、わっしらが今度はかけつけっべからよ」と、お母さんたちの優しさに励まされました。

休憩時間には、日頃からの避難訓練や、大津波に襲われた3月11日のことをお聞きしました。多くの方が逃れた高台の小学校から自分の家が流されるのを見たそうで、遠くの海を見ながら「この海が人っ子も家っ子もみ~んな持ってっちまった」と寂しそうに呟いておられました。

また、ホタテの養殖をされていたお母さんは、「ここでとれるホタテは大きくて肉厚でおいしい。本当なら今が収穫で一番忙しいんだけど…。私たちはどうやり直したらよいのか」と言われていました。3日目は鳥居漁港、4日目は広田保育園の片付けをしました。

人々が、悲しみを乗り越えようと必死で生きておられることに、励まされました。また、多くの青年がボランティアで来てくれたことを、本当に喜んでおられました。

少しずつでも片付けが進むのを見て、必ず復興できると思いました。そのためには、募金ももちろん大事ですが、何より住民の方々に寄り添い、一緒に復興への歩みのお手伝いをする〝人〟が大事だと思いました。

今度は夏にむけ、広島からも多くの青年と広田町へ帰りたいと思います。今回のボランティア派遣募金にご協力いただいたすべてのみなさんに、心から感謝しています。


110501_volu.jpg

▲広田小学校で炊き出しの手伝いをする田中さん(右から2人目)




スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。