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2014年07月31日 (木) | Edit |
広島と長崎への原子爆弾の投下からまもなく69年目の夏を迎えます。
いまも20万人もの被爆者が被害に苦しみ、17000発の核兵器が人類の生存を脅かしています。
いま、世界中の国々が「核兵器のない世界」のために努力しています。
8月6日を前後して、広島市内各地でさまざまなとりくみがおこなわれます。


≪原水爆禁止2014世界大会≫


●日時:8月2~9日(前半は広島、後半は長崎で)
●場所:グリーンアリーナなど

詳しい内容は以下をご覧ください。
http://www.antiatom.org/intro_activity/world_conference.html


≪Ring!Link!Zero 青年の集いと文化の夕べ≫

世界大会期間中におこなわれる青年集会。
とびこみ含めて誰でも気軽に参加できます。

●日時:8月4日(月)17:30~19:30
●場所:グリーンアリーナ(小アリーナ)
●参加費:一般/1000円、学生(高校生以下)/500円

詳しくは以下のチラシをご覧ください。
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≪2014年国民平和大行進≫

原水爆禁止国民平和大行進は、1958年にはじまり、今年で57回目となります。
全国で10万人の方が参加される国民平和行進。
今年も全国各地からのリレーをつなぎ、8月4日の平和公園到着をめざします。
ぜひ、「核兵器をなくせ」「原発なくせ」「平和憲法を守ろう」の願いをこめて一歩でも二歩でも共に歩きましょう。

詳しい日程は以下をご覧ください。
http://www.antiatom.org/upload/1404207243.pdf


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2013年09月17日 (火) | Edit |
9月12日、核兵器なくそう!ヒロシマ青年実行委員会は、8月5日にとりくんだ被爆者訪問と、原水爆禁止世界大会in長崎に参加したメンバーの報告会をおこないました。
青年ら13人が参加しました。


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第1部は活動報告。
はじめに、8月5日に広島でおこなった「被爆者訪問」のとりくみについての報告があり、参加者が感想を語っているのを録画したものが上映されました。
続いて、原水爆金世界大会in長崎に参加した3人の青年から、学んだことや決意したことなどの報告がありました。


「核廃絶のためには、被爆者の方の話を聞き、次の世代に伝えなければいけない。被爆者の方の話が核廃絶の目標を達成する原動力になる。この大会でたくさんの人と交流できてすごく充実していた。『平和とはなんだろうか』ということについてもっと考えてみたい」(大学生・男性)

「被爆者が行動し発言すること、私たちが署名など行動することが世界の仲間を励ましているし、私たちも世界の仲間に励まされている。2015年のNPT再検討会議の成功をめざして、SNSやフラッシュモブなど楽しくカッコいい運動を広げて、たくさんの若い世代をまきこんでいきたい」(医療事務・女性)

「開会総会で、『被爆者を核兵器より先に死なせてしまって申し訳ない』とあいさつされていたのを聞き、衝撃を受けた。海外代表の人が『核兵器、いつなくすの?』と問いかけ、みんなが『今でしょ!』とコールしてたのを聞き、衝撃を受けた。全国の活動報告もすごかった。秋田の青年たちが県知事あてに申し入れに行ったと聞き、衝撃を受けた」(フリーター・男性)


など、意気高い発言が続きました。


第2部は被爆証言のききとり。
広島県被団協の佐久間邦彦さんからお話を聞きました。
佐久間さんは、生後9か月で爆心地から2.5キロの場所で被爆。
定年後、被団協で「自分も何か力になりたい」と被爆者相談活動をおこなっています。
今年4月にジュネーブでおこなわれたNPT再検討会議の準備委員会にも出席し、世界中の人たちに被爆の実相を語り、原爆展をおこなったことも紹介されました。


実行委員会は、今後も被爆証言の聞き取りと署名集めを中心に、活動を進めていく予定です。

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2013年08月15日 (木) | Edit |
広島市内で6日まで開かれた原水爆禁止2013年世界大会・広島の関連行事、「核兵器なくそう!広島青年実行委員会」が主催した被爆者の証言を聞き交流する「被爆者訪問」が5日、安佐北区、西区、佐伯区の3会場で行われ、岡山、長野、広島の青年ら51人が6人の被爆者の話に熱心に耳を傾けました。

佐伯区の会場では、原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」による内部被ばくで苦しむ人たちが証言。国は不当な線引きをして被害者を放置していると告発しました。


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▲佐伯区会場のようす


話を聞いた青年らから、「内部被ばくのことを初めて知った」「私たちはこの証言を伝承していく使命がある」「自分の生き方、考え方をこれほどゆさぶられたのは初めて。自分のできることを探していようと思う」などの声が聞かれました。


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▲安佐北区会場のようす






2013年02月18日 (月) | Edit |

かえるネットでともに活動する仲間から「オレは知ったからには伝えたい」とメールが届きましたので、みなさんにもご紹介します。



今日は原爆症認定訴訟を闘う被爆者のKさんに会いました。
Kさんから被爆体験の手記を見せてもらったからメールします。
こんなメールもらってもどうしようもないと思うかも知れんけど、大切なことだと思うし、オレは知ったからには伝えたいです。
所々略してるから、上手く伝わるかどうか分からんけど、それでもこんな思いをして生きてる人がいることも知っとってほしいと思います。

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―1944年8月9日、広島市仁保町で生まれ、翌年8月6日の原爆投下の日は私にとって満1歳の誕生日3日前の出来事でした。
爆心地より4日キロメートルほど離れた自宅は、原爆が炸裂した後、突然の爆風で天井が吹っ飛び、窓ガラスが粉々に割れて飛び散り、足の踏み場もないほどだったそうです。
その時井戸端で顔を洗っていた父は、縁側のハンモックに寝かされていた私を抱きかかえ室内に入ったものの、師範学校の教師をしていましたので、生徒の安否が気がかりになり、私を母に預けて学校に出かけていったそうです。
まもなく近くにある仁保国民学校は緊急の救護所になり、市内の中心部からおびただしい数の傷ついた人たちが次々に集まってきており、母は私をおぶって町内の人達と共に負傷者の救援活動や炊き出し等に当たったそうです。
家に落ち着くことが出来たのは、原爆投下後2週間くらいたってからで、私たち家族は、その後も同じ場所で生活してきました。

小学校に入学してからも、身体は弱く扁桃腺がよく腫れ、特に目は光に弱く、眼科にはよく通いました。
学年が進むにつれ、関節の痛みが加わり、欠席する日も多い学校生活を送ってきました。
それでも縁があって1967年には結婚することができ、2人の子どもにも恵まれました。
(中略)
1994年ごろからは体調不良が顕著となり、病院通いが続きました。
そして2000年、私も被爆者にとって「最大の敵」とも言われている「癌」、子宮体ガンになりました。子宮、卵巣、リンパ節全摘出手術を受けました。
その時に「すい臓に腫瘍ができている」こともわかりました。
2003年6月原爆症の「認定」を求めて申請しましたが、翌年2月に却下されました。すい臓、脾臓切除手術のため、川崎医大に入院中ではありましたが、そのベッドの上で、必死の思いで異義申立書を書き、厚生労働省に提出しました。それから2年以上も経った2006年5月、ようやく厚生労働省健康局長より「異義を棄却する」という決定通知書を受け取りました。
2006年11月岡山地裁に提訴の後、集団訴訟で闘うことになりました。
(中略)
2010年6月16日の判決が下される日、“当然の勝訴”を確信しておりました。
しかし被爆者援護法の精神である「被爆者の心に寄り添った」判決になっておらず、判決文には「結婚後は体調も安定し、平成12年6月(子宮体ガン発症)まではむしろ健康な状態が続いている」とありますが、私は自分のことを健康と思ったことはありません。
(中略)
被爆者の心からの声をもっと伝えたい、それと同時に、私は絶対に被爆しているのだ、という思いを強く訴えたいと、2010年6月29日、控訴にふみきりました。
(中略)
68年前のあの日、尊い命を一瞬にして奪った恐ろしい「原爆」。
あのきのこ雲の下で何が起こったのかを、わたしたち生き残っている被爆者は、世の中の人々に伝えていかなくてはなりません。そのために生かされているのだとも思っています。そのような思いで裁判に臨んできたのです。まさに「命がけの闘い」と言っても過言ではない。あの日から68年、まだ苦しみは続いているのです。




2012年08月07日 (火) | Edit |
8月4~6日、原水爆禁止2012年世界大会・広島集会がおこなわれました。
全国・全世界から核兵器の廃絶を求める人たち7000人以上が集まったそうです。

広島の青年たちは、主に5日の青年分科会「被爆者訪問」のとりくみに奮闘しました。

かかわった青年たちの声の一部を紹介します。

生の証言を聞くことの大事さを実感、再認識
「原爆の体験を知るというよりは、強い思いや悲しみを込めて話す言葉に、原爆が起こした人間の悲惨を感じずにはいられませんでした」
「直接お話を聴けることの意味(心がゆりうごかされるとか…)が参加者の思いからよくわかりました」
「被爆者のお二人の実際見た光景を聞いた時は、想像つかないけども、想像してしまい、つらさを感じました」
「被爆体験は聞くたびにショックをうける」


全国の仲間との出会い、交流への喜び
「他の県(都道府県)の方の意見を聞けるのは大きなメリットだと思います。例えば3・11に被災された方や地方の方、東京や大阪の方、それぞれ運動の見方が違うので、とても勉強になりました」
「参加者の方に『被爆者の方々だけでなく、ヒロシマの青年と話す事が出来て良かった』と言って下さった方がいて、はずかしいような、ありがたいような。そう言ってもらえただけでも参加して良かったなと思います」
「住む所は違えども、皆、同じ意見で、皆、同じ事を考えているんだなと思いました/今いる人達とすぐに心開いて喋れたこと、思いのほか、こういう話題で盛り上がるんだってなったこと/この班員を案内してよかったなあーと無事に案内できてよかったなあーと思うばかりですw」
「多くの青年が原爆や被爆というテーマについて関心をもち、全国から集まっていることに心を打たれました」
「『最後の世代』――今、私たちが最後の伝聞者。けど原爆にしろ、原発にしろ、原子炉にしろ、私たちの身近なところに核被害がひそんでいる。その恐怖を知り学びながら、そしてヒロシマ、ナガサキを忘れない、知ろう!という青年の小さな力や声だけどパワーに励まされた」
「日本の色々な人と会えてよかった」


この企画の一翼を担えたことへの喜び、達成感
「毎年8月に入ると、そわそわするような不安にちょっとかられてしまうので、こういったお手伝いが出来ることに光栄だと思っています」
「他人のために何かをやるのも悪くないなと思いました」
「自分が主体的に聞くのもそうですが、多くの人を一つの会場へ案内し、全国の人と思いを共有することができ、しんどかったけど、とてもおもしろかったです。来年もぜひスタッフとして参加したいと思います。とても楽しかった(^O^)/!!です」
「全国の青年に被爆者体験を聞いていただける助けが出来てとてもいい体験が出来ました」


今後のとりくみへの決意
「戦争の結果、原爆が使われてしまった。二度とおこらないよう、世界の人たちが気持ちをあわせられるとよい。そのためにできることに、自分なりにとりくんでいきたい/道案内の人がどんどんふえるよう、日ごろのとりくみをつなげておくことが大切。道案内も心強いし、広島の青年のつながりも深まるし」
「被爆体験を色々な方から聞くことは大切だと思いました。あと、今起きている国会を囲む運動のように、多くの人をまき込む〝壁の低い〟運動がこれから大切になると思いました」




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